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「板垣退助さんはいい人だった。」

高知市の自由民権記念館様において、平成23年10月26日(水)?12月18日(日) の日程で「板垣退助愛蔵品展」が行われています。先日、この企画展の為に、板垣退助の愛蔵品の数々を撮影する業務を頂きました。

貴重史料を撮影する場合、史料を適切に取り扱う為に専門家の方(教授や学芸員の方)が立ち会われる事が多いです。撮影をしながら貴重資料にまつわるエピソードなど、色々なお話しを聞かせて頂ける事もしばしばです。お仕事をしながらそういった情報を聞かせて頂けたりするのも、私達の役得です。それにしても、専門家の知識というのはやはり凄いもので、色々と勉強になります。これを全て覚えておければ良いのですが・・・。

ところで、板垣退助ってどんな人?・・・ 私が事前に知っていた情報はというと
・自由民権運動をやっていた人? ・「板垣死すとも自由は○×△」と言った人? それと高知県出身の人。
とまあ学校の教科書に出ていた程度の情報でして・・・。我ながら酷いもんです。
そんな私がお仕事させて頂いたのも何かの縁(ちょっと強引?)。この程度の認識で終らせてしまうのは失礼かと思い立ち、板垣退助という人、少しだけ調べてみました。

彼が生きた時代は江戸末期から明治へと至る動乱の時期。この時代を生き抜き、後に思想運動を起こしてしまう程の人ですから、よほど豪気な人だったのでしょうね。そんな彼の様子がうかがえる少年時代のエピソードがあります。

当時の人が食べ合わせが悪く、一緒に食べたら死ぬと言われていたスイカと天ぷらを、集めた人達の前で食べて見せ、死なない事を証明したり(これはまだマシですが)、稲荷神社のお守りを便所に捨ててみて、バチが当たるかどうか試したというのですから、それはさすがにイカンだろうって感じです。現代でもいい加減怒られそうですが、当時はまだギリギリ江戸時代ですからね。当時は素行が悪い少年という評価だったとありますが(まあ、そりゃそうでしょう)お母さんは、当時、そんな退助少年に大変苦労したそうです。
もし、わが子のやんちゃでお困りのお母さんがこれを読んでくれているなら、お子さんは将来、板垣退助の様な素晴らしい人に成長するかもしれませんよ、と言っておきましょう。(でも責任は持てません!)

しかし、その周りに同調せず自分の思いに正直に突っ走るところが、後の板垣青年の原動力になっていたのは間違いないですね。そんな八方破れな部分だけを考えると、少々厄介なというか危険な人物という印象ですが、しかし、同時に彼は、義理人情に厚く、私欲に溺れない清らかさがありました。
実際に、自由民権運動に際しては、屋敷や持てる財を投げ売って活動資金に充てています。晩年の彼は、生活に窮していましたが、それでもそれを悔んではいなかったそうです。清貧と言って良いでしょうね。
そして、彼に接した人の多くが、その人間性の素晴らしさを称えています。
例えば、中江兆民は「人としての美しい徳を持っていたことでは近世の偉人である」と評しています。
あの有名な「板垣死すとも...」の事件(岐阜事件)で彼は、暗殺者の相原の罪を減じるよう自ら指示しています。そしてそれを知った相原は、彼の元に謝罪に訪れています。方向性は違っていても、共に、世の為にという気持ちが、彼には理解できたのでしょうか。だとしても、自分を殺そうとした相手を許せる度量、これも人並み外れています。
私利私欲が無く、義理人情に厚くて、信じた道を驀進するという板垣退助の人物像。彼と友達だったらかなり振り回されて大変でしょうが、でも、応援したくなる愛すべき人。
今回の撮影がキッカケで、板垣退助さんという人を知る機会が出来、知ってみれば、こんなに素晴らしい人物だったのかと感激しています。

今回撮影した史料の中には、板垣退助さんが洋行時にルイ・ヴィトンのパリ本店で誂えたトランクもありました。日本人として、初めてルイ・ヴィトンを所有したのが板垣退助さんだと言われているそうです。義理人情、無欲なんていうと少々堅苦しい印象もありますが、お洒落好きな一面も持ち合わせた人だったんですね。

学校で勉強した歴史は味気なかったのですが、こうやって知る歴史は、なんでこんなに面白いんだろう?何か、生き生きとしていて、鮮やかな色彩に溢れてます。今回知った板垣退助さんも、なんだかもう知り合いの様な感覚です。

みなさんも、この企画展で、偉人「板垣さん」の人物像に触れてみてはいかがですか。半日くらい時間を取って、じっくり楽しまれる事をお勧めします。


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